考えてる最中って本当にそれのことしか考えられなくて、ものすごく視野が狭くなってる。っていうことをそこの負の沼から抜け出せた時に気付くんだよね。

    母親としての義務を終えたらさっさと死にたいと言ったときの母は酔っていたけど、それは酔ってたから我が子にも言えた本心だろうと思った。

    今はとりあえず私がもう少しこまめに母と連絡を取り合って他愛のない話をするという案を思い付いた途端すごく気持ちが楽になった。私との会話が楽しいとか笑顔が好きとかって言ってくれてるからそれで少しでも辛いことを考えずに日々を過ごせたらと思う。多分今の私にできることはこれと、ちゃんと実家に帰って顔を見せること。外の大学に行くって選択をさせてくれた母の気持ちを無下にはしたくないからちゃんと大学生活も全うすること。

    実家にいた頃の私のポジションってムードメーカーだったから、私が実家を出てからの我が家はだいぶ雰囲気が変わったんだろうなって思うし実際そうみたい。自惚れとかではなく家族の性格的に私以外に基本ニコニコしてる人がいないからってだけ。典型的な末っ子ちゃんなんだろうね。ただ、私がいなくてもそこはちゃんと回ってるんだなあ。私という概念自体がいなくてもというわけではなく、「私が抜けた家庭」という状態にみんなが適応していったんだよって意味。私が消えたらみんな悲しんでくれるんだろうなあ。それは母も一緒なのになあ。最初の頃は悲しいけど時間が経てば大丈夫になるだろうから、って言われてもいつまでも悲しい気持ちは消えないと思うんだよなあ、現実と自分の感情を受け入れることはできても悲しいものは悲しい。身体の病気と心の病気は人を蝕むって意味じゃ一緒なのに、自死の場合は病のせいって分かってても遣る瀬無い気持ちになる。

    母まだ生きてるから、こんなこと考えても辛くなるだけなんだよね、取り越し苦労であってほしい。